『植山屋』が『植山商店』と名乗っていた頃から営業してきた場所。
現在の住所は、隼人町真孝となっておりますが、
江戸時代には、商人の街 『浜之市村』 として独立して栄えていたこの街。
安土桃山時代末期(1595年)に、第16代当主:島津義久氏が富隈城を建設した時に、
城下の浜之市を整備して、商人を招き入れたことから始まったと言われています。
残念ながら、この富隈城は、10年程で廃城となってしまうようですが、
その後も招き入れられた商人たちは、この『浜之市村』を繁栄させ、
江戸時代には、薩摩藩内で栄えた坊津や山川に並ぶほどの港だったといいます。
また、坂本龍馬・お龍夫妻が、新婚旅行で霧島を訪れたのは有名な話ですが、
このお二人が霧島に行く際に降り立った港が、ここ浜之市港です。
安土・桃山時代の末期に始まり、江戸時代に大きく栄えた浜之市は、
その後もこの地で、商人の街、やがては、商店街として栄え続けました。
当店も、大正14年に、経営していた鮮魚店を『植山商店』と名付けて以降も、
活気のある浜之市で、順調な経営を行っていたと聞いています。
浜之市は、戦後も賑やかな商店街を復活させ、この狭い地区に
スーパー・薬局・書店・肉屋・魚屋・仕出し屋・蒲鉾屋・菓子店・衣料店・
タクシー会社に車屋さんに歯医者さんからお医者さん、銀行まで・・・
本当に全ての用事が済んでしまうほど多くのお店を隣接させていたそうです。
そして、時は流れて平成となり、建物が密集していた浜之市地区は、
火災などの危険を考慮され、国の区画整理事業の対象地域となりました。
街が綺麗に新しくなることで、より一層、この街が栄えると期待していましたが、
不況と大型スーパーなどの参入が重なり、浜之市で商売をしていた多くの人は、
この地を去って行ったと聞いています。
こうした環境の中ではありましたが、
『植山屋』は、2010年3月、空き地ばかりの浜之市に、
区画整理に伴い、グランドオープンすることとなりました。
このグランドオープンが、きっと浜之市の復活に繋がると信じて・・・
現在、安土・桃山時代から、鹿児島有数の港として、栄え続けてきた浜之市港は、
鉄道や道路の発達により、交通手段として使われることはなくなり、
静かな漁港となっています。
その周りで、賑やかに華やかに栄え続けてきた浜之市村(浜之市商店街)も、
不況と区画整理事業との影響で、造成された綺麗な空き地ばかりとなっています。
でも・・・
最近、その綺麗に整った空き地にどんどん新しい家が建ち始めているのです。
歴史の深い浜之市。
商人の街として生まれ、商人の街として栄えてきたこの街ですが、
もしかしたら、今後は『住みやすい街』として生まれ変わるかもしれません。
『不易流行』とは、植山屋が大切にしている言葉。
浜之市という街が栄えてきた歴史を大切に残しつつ、
新しくこの地を選んで移り住んで来てくれる人達に感謝しながら、
これからの浜之市の未来に期待してみたいと思うのです。
まだまだ区画整理の途中・・・
これから新しく生まれ変わる浜之市は、どんな街になるのでしょう。
そんなことを楽しみに思いながら、私は今日も蒲鉾作りを頑張ります!!