


初午祭(初午祭)とは、鹿児島県霧島市隼人町に所在する「鹿児島神宮」において行われる伝統行事で、五穀豊穣・家内安全・畜産奨励・厄払いを祈願し、鈴かけ馬20数頭、鳴り物(太鼓・鉦・三味線)と踊り連約2000人が参加します。毎年、県内外から20〜30万人の来客を見込む隼人町のビッグイベントです。
調教された馬は写真のように豪華に飾り立てられ、音楽に合わせて足をパカパカ動かし踊ります。その様から「鈴かけ馬おどり」と称され、平成14年1月18日「鈴かけ馬踊り」国の無形民俗文化財に選択されました。
毎年、旧暦1月18日を過ぎた次の日曜日に開催されます。
ちなみに今年は当店のさつま揚げを特産市に出店しました。鹿児島にお越しの際は是非とも隼人町の伝統行事をご覧下さい。ついでに当店のおいしいさつま揚げをお土産にいかがですか^^


馬おどりの起源は次の2説があります。

室町時代、鹿児島神宮の改築工事の監督として、宮内においでになった島津貴久公が宿で休んでおられるとき、ある夜不思議な夢を見られました。枕元に観音様が現れて「自分は馬頭観音である。長い間ここにいるが誰も顧みてくれるものがない。お堂を建てて私を奉ってくれないか、そうしたらこの国の守護神となり末永く守ってやろう。」といってスーッと消えてしまいました。
あくる朝、この話を宿元の神宮に話すと、「私も同じ夢を見た。」と言う。ちょうどそこへ神宮近くの日秀上人という偉いお坊さんが碁を打ちにやってきて、「その夢なら私も見た。」という。3人が3人同じ夢を見たということです。
「これはきっと観音様の有難いお告げに違いない。」ということで、獅子尾丘(町営体育館横)に正福院観音堂を建て日頃愛用した碁盤を材として観音像をつくり、お祭りをするようになりました。
それからは夢を見たその日、旧暦1月18日を縁日と定め、たくさんの馬をお堂におまいりに引いていくようになり、綺麗に飾り立てられた鈴かけ馬を躍らしたとのがはじまりだといわれています。

神宮のお祭りにつかわれる馬(御神馬)を預かって飼っていた加治木町木田の人々が、成長した馬を神宮に納めに参っていたのだしだいに馬おどりに変わったという説。
木田地区では神様にお供えするお米をつくり、神様の御神馬を飼っていました。木田の人達はこのことを大変誇りに思い、名誉なことと考えました。この光栄と感激を子孫に伝えるため毎年、旧暦の1月18日を参拝日と定めて、御神馬を洗い清め美しく飾り、背中には金の鞍、胸には鈴をつけ参拝していました。やがてその美しい御神馬の初詣が評判になり、まわりの村々も木田にならい馬を奉納するようになりました。
たくさんの馬が賑やかに神宮にお参りをするなか、いつの時代からか鉦や太鼓で囃し立て、さらに三味線を加え愉快に唄い踊るようになったのが、鈴かけ馬おどりの由来であるといわれています。今でも木田の馬は御神馬をして1番はじめに踊っています。

牛馬をはじめとする家畜の安全・多産を祈るとともに、農作物の豊作や家庭の病気やわざわい(厄)をはらうお祭りです。農民が主体のお祭りで、昔は農耕馬に踊る練習をさせて出場させていました。

初午祭でお馬さん達はどういった音楽で踊るのかと言うと、鈴かけ馬おどりという音楽です。マンボに似た楽曲で、「なるほど馬も躍りたくなるわな」と思うほど軽快なリズムです。歌詞の内容は以下の通り。
| 鈴かけ馬おどり |
唄/玉井 信江
唄・太鼓/住吉 重則
唄 林 文子 |
| 1番、 |
さても見事な 八幡馬場よ
鳥居にゃお鳩が巣をかける |
| 2番、 |
加治木・重富・越ゆれば吉野
吉野越ゆれば カゴのシマ |
| 3番、 |
オハンナ気がこめ 柳の葉より
太かバショウ葉の気を持ちゃれ |
| 囃子 |
「新川橋の石じゃ おこせばがねじゃ
がねのなま焼きゃそっそのもとじゃいが」 |
| 4番、 |
花を千本 よせてもみたが
オハンを見るよな 花はない |
| 5番、 |
桜島から 嫁じょをもろた
ビワやミカンは たえやせぬ |
| 6番、 |
小浜ダンキョに 長浜小海苔
加治木タカンバッチョ 帖佐かまげ |
| 囃子 |
「だんだん畠の さや豆が
1さやはしれば皆はしる
私しゃおはんについてはしる」 |
| 7番、 |
戸口立たずに ちょいと内おじゃれ
内にゃ茶もいるオゴも居る |
| 8番、 |
恋し小川で 鮎つるちごは
鮎はつらずに 鯉をつる |
| 9番、 |
お酒のむ人 花ならつぼみ
今日も咲け咲け 明日も酒 |
この唄はなんと女声と男声がかわるがわる唄いつなげていきます。歌詞の内容にはラブメッセージも隠されたりして、古き良き鹿児島の男らしさ・女らしさを感じさせてくれます。薩摩隼人はかくあるべきかと私見ながら思います。
鹿児島弁が多く分かりくいかもしれませんので口語訳してみます。もし間違いがあったら是非とも教えてください。(こちらまで)
| 鈴かけ馬おどり(口語訳) |
唄/玉井 信江
唄・太鼓/住吉 重則
唄 林 文子 |
| 1番、 |
ほんとにまぁ見事な八幡馬場よ
鳥居には鳩が巣をかけている
※鹿児島神宮のことを言っていると思われます |
| 2番、 |
加治木・重富を越えれば吉野
吉野を越えれば鹿児島市
※地理的説明だと思います。昔は電車が無かったので鹿児島市まで行くには大変な苦労があったことでしょう。 |
| 3番、 |
あなたは気が小さい 柳の葉より
太い芭蕉の葉のような心意気を持ちなさい
※薩摩隼人のならでは。柳の葉と長さ2メートル級の芭蕉の葉を比べるところが凄い。鹿児島人は気が小さいと言われるのが一番の屈辱なのかもしれません。 |
| 囃子 |
「新川橋の石を 持ち上げると蟹がいる
蟹の焼けば そっそのもとじゃいが」
※この囃子の訳は時間を下さい。新川橋とは霧島山系から流れる天降川という河川があるのですがその最下流に位置する橋のことです。 |
| 4番、 |
花を千本 まとめてみたが
あなた比べられるような 花はありません
※これはうっとりくるような口説き文句です。薩摩隼人と言えどただの男。口説きの文句もお手のものです。 |
| 5番、 |
桜島から お嫁さんをもらった
(桜島の実家から)ビワやミカンを貰うことが絶えはしません
※ビワ・桜島ミカンはいずれも桜島が名産です。当店も位置する浜ノ市漁港は昔、県内でも有数の交通基点で栄えていました。桜島は以前、大爆発がありましたが、桜島の方がお嫁さんに来たり一家で来たりと隼人町と桜島の関係は深いところがこの歌詞でもよく分かります。 |
| 6番、 |
小浜地区のらっきょうに 長浜地区の小海苔
加治木の竹の皮で作った日傘 帖佐のかます
※近辺の特産を紹介しています。浜ノ市のつけあげも入れて欲しかったですね^^ |
| 囃子 |
「だんだん畠の さや豆が
1さやはしれば皆はしる
私しゃおはんについてはしる」
※この訳にも時間をください。段々畑のさやえんどう豆の情景だと思いますが「はしる」の意味がわかりません。誰か教えてください^^ |
| 7番、 |
戸口に立ってないで 家の中に上がりなさい
中には茶もあるし女性(または子供?)もいますよ
※この情景はちょっと微妙です。普通に考えると開放的な鹿児島の家庭を彷彿しますが、もしかした女郎小屋の意味かもしれません。それ以外の意味もあるかも。 |
| 8番、 |
恋しい小川で 鮎を釣っている子供は
鮎は釣らないで 鯉を釣っている
※はたまた恋と鯉を掛けているかわかりませんが、鮎を狙っているのに鯉を釣っている少年を思い浮かべると鹿児島人らしいワイルドさが彷彿して叙情的です。 |
| 9番、 |
お酒を飲む人を花で例えるならつぼみだ
今日も咲け咲け 明日も酒
※鹿児島出身で酒が強いと薩摩隼人と県外では形容されますが確かに隼人町の人と付き合ってみてお酒が好きだと思います。この歌詞のつぼみの真意はわかりませんが土地柄を感じますね。 |
|